土肥旅行
昨日から妻と二人で1泊2日で伊豆の土肥に行ってきました。
踊り子115号修善寺行きに、横浜駅から乗ろうとしたら、
網代駅の信号設備点検で運転見合わせに。
特急券を払い戻しして普通電車で行こうかと話し合いつつも、
入線した列車に乗って待つこと1時間。。。
ようやく出発したものの国府津駅の特急用線路に止まったまま、3本の普通電車に追い抜かれました。

<あまりに暇だったので隣の線路を見ていたら、砂利の中から松の幼木らしきものが...>
結局1時間半遅れで修善寺に到着。
当然予定していたバスには乗れず、チェックインが遅れることを宿に連絡。
山あり谷あり峠を越えて、バスで1時間ほど揺られて土肥温泉に到着。
すっかり薄暗くなってしまってました。

<人影もまばら>
宿にチェックイン。部屋付きの仲居さん、若干横着でそそっかしい感じの人。^^;
部屋から海を見たら、太陽に伸びる光の道が。

<快晴だと綺麗だったろうなぁ...>
夕食は舟盛りつき。
(たまには)ビール飲みたいなぁ、といったら旅先で飲むなと言われ...
そうだよねぇ、薬飲んでいるんだから、旅先じゃなくてもダメだよねぇ...
伊勢エビ、テナガエビ、甘エビ、エビづくし、蒸しアワビ、金目の煮付け、金目の茶碗蒸し、かにの味噌汁...etc
おなかいっぱいになりました。
お風呂に入ってから部屋に戻ると、妻が眠いと言い出し、ちょっとないくらい早い時間に就寝。
一日中移動しっぱなしだったので疲れたかな。
翌朝は8時に食事。
なかなかよい天気です。

土肥に来たら金山でしょう、ということで土肥金山へ。

<ドーン>
混まないうちに砂金取り体験へ。
パンニング皿に深いところから砂利を掬って、水中で揺さぶって、軽い石、大きい石を振り落とす。
砂粒がほとんどになったら、皿を垂直になるくらいに傾けて、パンニング皿の段差のある部分から砂を流す。
その後少しだけ水を入れて、水平にすると、運がよければ、砂金が残る。。。
30分の体験時間で1mmあるかないかが2粒。3粒見つけたんですが、容器に移し替えるときにうまくいかなかった様で...
まぁ、ゼロではなかったのでよしとします。
それから金鉱を巡り、資料館へ。
途中でエセ金塊を持たされて、ありがとう平成、こんにちは令和(だったかな?)のガクを持たされてあれあれ言う間に
写真を撮られ、これがさっきの写真ですよ~、いかがですか~と来られ、まぁ、せっかく来たんだからと
まんまと乗せられ、買ってしまった。
これが有名な金塊です。

<重量250kg、時価12億相当だソウデスヨ...>
周囲のケースに穴があって、手で触れられる様になっています。当然冷たいです。
手前にも8分の1くらいか10分の1位の大きさの小さな金塊を触れるケースがあったんですが、動かせるけど、持ち上げられない。
金は重いですね。台形の形状ってどうもつかみにくい。あれはやっぱり、さっと取って行かれにくくする手段なのですかねぇ。
自分は手の指が人より短いので余計にかも知れませんが。。。
「円くお納めください」とかいう、ジョークみたいなお土産(最中とチョコ。チョコは小判を模した金色の紙で包まれている)が
あったので、妹に買っていこうかと思いましたが、そんな冗談みたいの止めた方がいいんじゃないと妻に言われ断念。
そこからさらに歩いて天正鉱山へ移動。

<この入り口は金鉱石掘り体験用のもの>
他の家族と一緒に、釜屋敷のおじいさんの説明を聞きつつ、移動。
金の精錬をしていた釜があるのだが、台風が来てその釜の部分を覆っていた屋根を持って行かれてしまったらしい。
さらに、まず、坑道に入る前に、立て看板みたいな展示ケースが金の採掘から精錬まであるのだが、
その一つをイノシシが出て壊してしまったそうで、そこだけケースなしの説明。
しかし、おじいさんの説明は、展示が一つなくなったくらい何でもない様にまったく影響がないのであった。
金山とは言うけれど、自然金がでるのではなく、金と銀が混じった「金銀鉱」が取れ、比較的金が多い鉱山が、
金山と言われているのだそう。ちなみに日本で操業している金山は、鹿児島県の菱刈鉱山だけだそうです。
日本でも金が取れるのですが、岩石に含まれる金の量が少なく、採算が合わないそうです。
というような話を聞いたり、大判、小判のレプリカを見つつ、時代が下るほど、小判は小さくなったとか、
大判は褒美として受け取る物で、受け取った方は、裏に炭や漆で自分の名前を書いたそうで、
その人が困窮するなりして、大判を手放すと、それを買った人が今度は自分の名前を書くとか、
ある人がおじいさんの持っている石の一つの3分の1をくれ、というので渡したら、ウニの化石を掘り出して持ってきた、
伊豆は昔は海の底だった、等々、豊富なうんちくを伺ってから、坑道へ。
他の家族も一緒でおじいさんが何をさして説明しているのかわかりづらかったけれども、
石英脈がどうも金銀鉱と関係しているらしい。
龕のところには縦に掘った鉱脈の前に石が置かれていた。
山の神を祀ったところらしいです。
土肥金山の坑道は観光地化されてますが、
天正鉱山の坑道は、手彫りのままの姿が残ってます(狭いですが)。
フェリーの時間が近づいてきたので、私たちは金鉱掘りの体験はせず、
フェリー乗り場へ移動(他の家族はカチンカチンやってました)。
フェリーは土肥と清水港を1時間で結びます。

<フェリー乗り場のそばの海。綺麗ですね>

<フェリー>

<フェリーは県道223号線>

<土肥の町>

<陸地の上に雲が湧いています>

<愛鷹山の上の雄大積雲。まるで夏の風景>

<雄大積雲。雷雲に発達するのでしょう>

<三保の松原。実は15年前にやってきて歩いたことがあります。ひょんなことから今度は船の上から>

清水港からシャトルバスでJR清水駅に向かいます。

ここから熱海まで普通電車で行き、熱海で乗り換えます。
清水駅にいたときに、涼しい風が吹いてきました。これは降られるかなと思ったのですが(傘持たず)、
その前に電車に乗れました。電車に乗ってしばらくすると、進行方向左手の方の山(愛鷹山?)でしきりに落雷が見られました。
その後雹混じりの大粒の雨がふり、止んだ後、電車から少しの間だけ、虹が出ました。
今回の旅は、電車が遅れる、急に思い立ってフェリーで帰る、雷が鳴る、雹が降る、虹が出る、砂金を少しだけゲットする、
盛りだくさんの旅でした。
母のことがあるので、遠出は出来ませんが
次はどこにいこうかな。。。
踊り子115号修善寺行きに、横浜駅から乗ろうとしたら、
網代駅の信号設備点検で運転見合わせに。
特急券を払い戻しして普通電車で行こうかと話し合いつつも、
入線した列車に乗って待つこと1時間。。。
ようやく出発したものの国府津駅の特急用線路に止まったまま、3本の普通電車に追い抜かれました。

<あまりに暇だったので隣の線路を見ていたら、砂利の中から松の幼木らしきものが...>
結局1時間半遅れで修善寺に到着。
当然予定していたバスには乗れず、チェックインが遅れることを宿に連絡。
山あり谷あり峠を越えて、バスで1時間ほど揺られて土肥温泉に到着。
すっかり薄暗くなってしまってました。

<人影もまばら>
宿にチェックイン。部屋付きの仲居さん、若干横着でそそっかしい感じの人。^^;
部屋から海を見たら、太陽に伸びる光の道が。

<快晴だと綺麗だったろうなぁ...>
夕食は舟盛りつき。
(たまには)ビール飲みたいなぁ、といったら旅先で飲むなと言われ...
そうだよねぇ、薬飲んでいるんだから、旅先じゃなくてもダメだよねぇ...
伊勢エビ、テナガエビ、甘エビ、エビづくし、蒸しアワビ、金目の煮付け、金目の茶碗蒸し、かにの味噌汁...etc
おなかいっぱいになりました。
お風呂に入ってから部屋に戻ると、妻が眠いと言い出し、ちょっとないくらい早い時間に就寝。
一日中移動しっぱなしだったので疲れたかな。
翌朝は8時に食事。
なかなかよい天気です。

土肥に来たら金山でしょう、ということで土肥金山へ。

<ドーン>
混まないうちに砂金取り体験へ。
パンニング皿に深いところから砂利を掬って、水中で揺さぶって、軽い石、大きい石を振り落とす。
砂粒がほとんどになったら、皿を垂直になるくらいに傾けて、パンニング皿の段差のある部分から砂を流す。
その後少しだけ水を入れて、水平にすると、運がよければ、砂金が残る。。。
30分の体験時間で1mmあるかないかが2粒。3粒見つけたんですが、容器に移し替えるときにうまくいかなかった様で...
まぁ、ゼロではなかったのでよしとします。
それから金鉱を巡り、資料館へ。
途中でエセ金塊を持たされて、ありがとう平成、こんにちは令和(だったかな?)のガクを持たされてあれあれ言う間に
写真を撮られ、これがさっきの写真ですよ~、いかがですか~と来られ、まぁ、せっかく来たんだからと
まんまと乗せられ、買ってしまった。
これが有名な金塊です。

<重量250kg、時価12億相当だソウデスヨ...>
周囲のケースに穴があって、手で触れられる様になっています。当然冷たいです。
手前にも8分の1くらいか10分の1位の大きさの小さな金塊を触れるケースがあったんですが、動かせるけど、持ち上げられない。
金は重いですね。台形の形状ってどうもつかみにくい。あれはやっぱり、さっと取って行かれにくくする手段なのですかねぇ。
自分は手の指が人より短いので余計にかも知れませんが。。。
「円くお納めください」とかいう、ジョークみたいなお土産(最中とチョコ。チョコは小判を模した金色の紙で包まれている)が
あったので、妹に買っていこうかと思いましたが、そんな冗談みたいの止めた方がいいんじゃないと妻に言われ断念。
そこからさらに歩いて天正鉱山へ移動。

<この入り口は金鉱石掘り体験用のもの>
他の家族と一緒に、釜屋敷のおじいさんの説明を聞きつつ、移動。
金の精錬をしていた釜があるのだが、台風が来てその釜の部分を覆っていた屋根を持って行かれてしまったらしい。
さらに、まず、坑道に入る前に、立て看板みたいな展示ケースが金の採掘から精錬まであるのだが、
その一つをイノシシが出て壊してしまったそうで、そこだけケースなしの説明。
しかし、おじいさんの説明は、展示が一つなくなったくらい何でもない様にまったく影響がないのであった。
金山とは言うけれど、自然金がでるのではなく、金と銀が混じった「金銀鉱」が取れ、比較的金が多い鉱山が、
金山と言われているのだそう。ちなみに日本で操業している金山は、鹿児島県の菱刈鉱山だけだそうです。
日本でも金が取れるのですが、岩石に含まれる金の量が少なく、採算が合わないそうです。
というような話を聞いたり、大判、小判のレプリカを見つつ、時代が下るほど、小判は小さくなったとか、
大判は褒美として受け取る物で、受け取った方は、裏に炭や漆で自分の名前を書いたそうで、
その人が困窮するなりして、大判を手放すと、それを買った人が今度は自分の名前を書くとか、
ある人がおじいさんの持っている石の一つの3分の1をくれ、というので渡したら、ウニの化石を掘り出して持ってきた、
伊豆は昔は海の底だった、等々、豊富なうんちくを伺ってから、坑道へ。
他の家族も一緒でおじいさんが何をさして説明しているのかわかりづらかったけれども、
石英脈がどうも金銀鉱と関係しているらしい。
龕のところには縦に掘った鉱脈の前に石が置かれていた。
山の神を祀ったところらしいです。
土肥金山の坑道は観光地化されてますが、
天正鉱山の坑道は、手彫りのままの姿が残ってます(狭いですが)。
フェリーの時間が近づいてきたので、私たちは金鉱掘りの体験はせず、
フェリー乗り場へ移動(他の家族はカチンカチンやってました)。
フェリーは土肥と清水港を1時間で結びます。

<フェリー乗り場のそばの海。綺麗ですね>

<フェリー>

<フェリーは県道223号線>

<土肥の町>

<陸地の上に雲が湧いています>

<愛鷹山の上の雄大積雲。まるで夏の風景>

<雄大積雲。雷雲に発達するのでしょう>

<三保の松原。実は15年前にやってきて歩いたことがあります。ひょんなことから今度は船の上から>

清水港からシャトルバスでJR清水駅に向かいます。

ここから熱海まで普通電車で行き、熱海で乗り換えます。
清水駅にいたときに、涼しい風が吹いてきました。これは降られるかなと思ったのですが(傘持たず)、
その前に電車に乗れました。電車に乗ってしばらくすると、進行方向左手の方の山(愛鷹山?)でしきりに落雷が見られました。
その後雹混じりの大粒の雨がふり、止んだ後、電車から少しの間だけ、虹が出ました。
今回の旅は、電車が遅れる、急に思い立ってフェリーで帰る、雷が鳴る、雹が降る、虹が出る、砂金を少しだけゲットする、
盛りだくさんの旅でした。
母のことがあるので、遠出は出来ませんが
次はどこにいこうかな。。。