結局は塵に帰る
このところ、どうにも気力が湧かず、へたばっている。
理性で気力を奮い起こそうとしても、その間に気力がぐずぐずと崩れていく。
僕らは、煎じ詰めれば宇宙の作った塵から生まれた。
そして、火葬だろうが土葬だろうが、太陽の最期の日の前に、
その光球の中に飲み込まれて、地球ごと、また、塵に戻っていく。
ましてや数十年分しか与えられない、生命と心、
僕が何をし、何に喜び、何に苦しみ、最期のときに、楽しかったと笑って逝けるのか、
惨めだったと悔しい涙を流しながら逝くのか、
きっと、意味はない。
結局は、押し寄せる時間の波に繰り返し曝されて朽ちるか、病気や怪我がもとで逝くことにななるが、どちらにしろ、
朽ちることに違いはない。
僕は、幼かった頃、何に本気で喜んだのか、不思議に記憶がない。
しかし、その記憶があろうがなかろうが、朽ちて塵に帰ることに変わりはないのだ。
その後に人生において、常に何かに叩かれ続けているように思われて、日陰のいじけた木のように
心が醜い姿をしていようが、終わりの日はやってくる。
自分は、不老、不死を望まない。
終わりがあるから、自分に残された時間を精一杯生きたいと思う。
でも、自分のマインド、ハート、ウィルパワーは今はずたずただ。
いくらマインドがハートにけしかけても、ハートは拒否して動かず、結局ウィルパワーが発動されないことも。
後で後悔してマインドがハートを叩けば、ハートは余計に弱って萎びていく。
こんな悪循環など望んでいないのに…
終わりの日にこの悪循環を断ち切るのは嫌だ。生きているうちに、断ち切って、少しでも人生を楽しみたい。
いずれ、塵に帰る身であればこそ。
理性で気力を奮い起こそうとしても、その間に気力がぐずぐずと崩れていく。
僕らは、煎じ詰めれば宇宙の作った塵から生まれた。
そして、火葬だろうが土葬だろうが、太陽の最期の日の前に、
その光球の中に飲み込まれて、地球ごと、また、塵に戻っていく。
ましてや数十年分しか与えられない、生命と心、
僕が何をし、何に喜び、何に苦しみ、最期のときに、楽しかったと笑って逝けるのか、
惨めだったと悔しい涙を流しながら逝くのか、
きっと、意味はない。
結局は、押し寄せる時間の波に繰り返し曝されて朽ちるか、病気や怪我がもとで逝くことにななるが、どちらにしろ、
朽ちることに違いはない。
僕は、幼かった頃、何に本気で喜んだのか、不思議に記憶がない。
しかし、その記憶があろうがなかろうが、朽ちて塵に帰ることに変わりはないのだ。
その後に人生において、常に何かに叩かれ続けているように思われて、日陰のいじけた木のように
心が醜い姿をしていようが、終わりの日はやってくる。
自分は、不老、不死を望まない。
終わりがあるから、自分に残された時間を精一杯生きたいと思う。
でも、自分のマインド、ハート、ウィルパワーは今はずたずただ。
いくらマインドがハートにけしかけても、ハートは拒否して動かず、結局ウィルパワーが発動されないことも。
後で後悔してマインドがハートを叩けば、ハートは余計に弱って萎びていく。
こんな悪循環など望んでいないのに…
終わりの日にこの悪循環を断ち切るのは嫌だ。生きているうちに、断ち切って、少しでも人生を楽しみたい。
いずれ、塵に帰る身であればこそ。